愛の捧げもの
ナンシー:コリント人への第一の手紙13章で、使徒パウロは「自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。」(口語訳 3節)と書いています。捧げるという事は 愛によって動機付けられなければ 霊的な意味では 無に等しいと言っているのです。
現代的な事に言い換えてみましょう:
「私が 家をいつもきれいにしていても、教会にちゃんと忠実に出席していても、二週間おきに教会の保育室で小さな子供達の世話をしていても、聖書勉強会のリーダーをしていても、自分の子供達をホームスクールしていても、見たことのない最高のサッカーマムであっても、地元のクリスチャンの妊娠相談センターでボランティアをしていても、もし愛がないなら、私は無に等しいのです。そして、家族や他の人の為に莫大な犠牲を払って何かをしても、愛からではなく、義務感や 良い人、素晴らしい人だと思ってもらいたいという気持ちからするなら、それは 何の価値もないのです。」
あなたはあなたの人生が何かの役に立つようにと願っていますか? 神様の愛であなたが満たされるように神様に願い求めてみて下さい。
主を求めて、私はNancy DeMoss Wolgemuth。
トピック:クリスチャンとしての成長